10月に行った福島は帰りたくても帰れない
浪江町・双葉町・南相馬市の復興公営住宅に住むみなさんと
そして未だ悲しみの中にいる子どもたちに逢いました
昨年、6歳〜10歳の子どもたちが
「自分で守る、私が守る、天国へ行ってもぜったい見まもる…」
「守る…」という言葉をたくさん書く子どもたちに驚きました
震災・津波・原発・DVそして虐待…
とても辛い日々を過ごし見なくていいものを見てきた子どもたちそして、
今年も福島の子どもたちは「泣かないで」「泣くな笑え」「守りたい」
「幸せ いつくる」「くるしい」と・・・
今もフラッシュバックがおきている子どもたちが大勢います
復興公営住宅に住む大人は涙を拭います…
私の耳元で「娘が津波で…」そう言って大きな紙に「慶子へ」と書かれました
「息子」とお母さんは書きました
「太平洋で生まれた私が海こわい」「帰りたい」
「浪江に帰りたい」「忘れないふるさと」
止まったままのみなさんの悲しみをどうすればいいのか…
伝えて欲しいと言われます。日本に忘れられてしまうから…どうか伝えてと・・
昨年、白い紙の前で2時間動かなかった女の子がね
今年は何枚も書きました
でも笑顔はありません。ずっと笑わない笑えない子がいます。
彼女は施設で弟の面倒もみます。優しいとても優しい子です
帰るとき、みんなとギュッと抱きしめてお別れをしました。
女の子も走ってきました
私は手を広げました。女の子は後ろに手を回してギュと抱きついてくれました。
「味方だから…ずっと味方だから・・また逢うから…」と耳元で伝えました。
女の子はうんうんと頷き後ろを見ないで走って行きました
必ずもう一度逢えますように…
2016年11月6日
矢野きよ実