百か日に逢えた奇蹟

Posted in Diary,Information by yano kiyomi on 6月 23rd, 2011

百か日法要の日に被災地に行けることになるという偶然がありました。
ひと月に一度、一度しか行けないけれど、その一度は心と身体を整えて
出来る限りの力を持って向かいます。
今回も名古屋からの仲間16人と往復1600キロ。
この先に、出逢ったみんながいる!道はつながっていると思うと
胸の奥がたまらない気持ちになる。

 

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 百か日法要は「卒哭忌(そっこくき)」ともいって
大声で泣き叫ぶことを卒業する日。

「今日はたくさん泣きなさい。」という日なんだ・・と思いました。
法要の前にビーフシチュー300食クリームシチュー300食を炊きだした。

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15時からの法要が始まる頃、なんと泉谷さんが雄勝に到着した。
この日偶然、石巻に入るという泉谷さんに
「その日は名古屋チームもいて百か日で・・」と話すと
「よし、わかった!」と力強い叫び。

約束をしなくても偶然に同じ場所に行く奇蹟は誰が導いてくれているのかなぁ
泉谷さんはお焼香の後、みなさんからの「歌ってください」の声にこたえて
「春夏秋冬」を捧げた。

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「今日ですべてが終わるさ今日ですべてが変わる今日ですべてがむくわれる今日ですべてが始まるさ・・自分に歌え、自分自身に歌え・・」と繰り返した。
みんな泣いた。それぞれに泣いて歌った、泉谷さんと一緒に。

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 29歳の女の子とお母さんが私のところに来て
「この子ね、3ヶ月もの間ひと言も弱音を吐いていないの、喋らせて欲しいの
聞いてやって欲しいの・・」とお母さんが言った。
「大変だったね・・・つらかったね・・・」と言うと
彼女は「怖かったぁ・・ものすごく怖かったぁ・・」と話し出した。
「山の上に逃げてね、津波で家が全部流されていくのも見て、真っ暗になって、頭の上にヘリコプターが飛んでいくんだけど全部気仙沼の方向に飛んでいってね、私たちは山の上から洋服振って一生懸命知らせても駄目で・・
これで終わりだ・・と思った。」

彼女は次の日もその次の日も誰も助けに来てはくれない
この町は終わりだと何度も思ったという。
あの日、彼女のような恐怖を持った人々がものすごくたくさんいたことを
この壊滅してしまった雄勝の町で聞いた、この真実の叫びを
私たちは絶対に忘れてはいけないんだと思った。
百か日法要の日に、市役所のあった場所にみなさんが集まって
私たちに聞かせてくださることは、あの日のことでした。


飯野川中学の避難所のみなさんにも逢いに行けました。

 「あっ、ひつまぶしのお姉さんだ!名古屋からだ!」
どれくらい嬉しいことでしょう

そして今回も東海地区のみなさんからいっぱいの優しさを運びました。

ogatsu201106180044.jpg (嘉門さんと上海の弥生さんの
                                                         ネックウォーマー)

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吉良町の糟谷さんからトマト5000個・寺西さんから下着100着
アンティークさんからハートのチョコラスク3600個
ビアンカさんから子供服700着中京クリーニングさんからTシャツ150着
そして、嘉門達夫さんと上海の弥生さんからのネックウォーマーも
いっぱいの駄菓子も喜んでいただいた。

 

体育館の中は一ヶ月前とほとんど変わっていませんでした。
ただただ、みなさんのあまりにも頑張り過ぎている姿がたまらなく思えた。

  7歳くらいの男の子がみんなの周りを回って離れない。
「あの子ね明日の朝仮設住宅に行くの淋しさと不安と・・興奮していてね」と
この3ヶ月間この避難所を守ってきた20代の女の子が呟いて教えてくれた。

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 みなさんともたくさん話すことができた。
みんな違う場所に移っていくことも聞いた。
子供も大人もみんな涙を流しながら
それでも前に進まなければならなくて・・。

 あの日から100日。
みなさんの心の涙はとまらない。

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  力の無い私たちですが、また逢いに行かせてくださいね。

 

 矢野きよ実