陸前高田の子供たちに教えてもらったこと・・・
12月の陸前高田は肌を刺す寒さだった。
名古屋で暮らす私たちとは何もかもが違う
3月11日の震災後、4月から被災地に入り最初にわかったことは
「それでもこの道は繋がっている。」
道の向こうにみんながいる。時差も無い外国でもない日本だ。同じ時間を生きている人々
そして違うのは東北にだけ大きな津波がきた・・・ということ
10月の陸前高田で教えてもらったこと
9歳のみんなの心から溢れるようにでてきた言葉の中に
「今が楽しい」「生きてる今を楽しもう」
楽しいという言葉をいっぱい書く女の子
ほんとうに怖くてほんとうに辛くて淋しかった何ヶ月間
「今は友達と笑って学校にいるから大好きな友達と一緒にいられるから
今が楽しくて、みんなといられる今日が大切なの・・みんながいるから生きていられるの」
私は何十日も自分の力の弱さ、不甲斐無さの中にいた。
12月3日~6日
1泊4日 1800キロの被災地への道を仲間と走る
「子供たちに逢える・・逢いたい」一緒に行った仲間も同じ気持ちだったと思います。
10月に陸前高田で子供たちと授業をして名古屋に戻ってから私たちは
次の日にでも子供たちの元に行きたかった。
でも私たちが毎日いてもどうなるものでもないということもわかっている
その子供たちに逢える
子供たちは教室で待っていてくれました
みんなから手紙ももらいました
元気でした
瞳がキラキラひかっていました
マラソン大会で仮設住宅のみなさんにも声援してもらって全員完走できたそうです
学芸会でみんなで一生懸命に舞台に立ったそうです
前に前に進んでいる子供たちは大きな英雄です
嬉しかったものすごく嬉しかったです
今回は小学校3年生の8歳・9歳の子供たちと書をかきました。
副校長先生が体育館に大きなストーブを用意して暖めてくださっていました
陸前高田のみなさんはほんとうにほんとうに温かいです
3年生の子供たちは「ものすごく元気なんです」と先生方からお聞きしていました
書の授業が始まって
いちばん最初に泣いたのは担任の先生でした
「子供たちがこんなふうに想っていたなんて・・ただ元気なだけだと思っていたけど
今、それがわかってたまらない気持ちです・・・」と
先生はクラス全員の子供たちの名前を書いて最後に「宝物」と書いた
子供たちは先生の書をみて「俺の名前がある!私のも・・先生ありがとう!」と叫んだ
泣き虫先生はまた泣いちゃった。
子供たちの心の叫びは大きな叫びでした
「つなみにまけない」
私の家は流されたけどたくさんの人が流されて亡くなったけど私は生きているから
「強く生きる」
くじけている自分はいつになっても人が支えてくれないから
強く生きたら友達もいっぱいできるし近所の人も支えてくれるから・・・
「みんな愛してる」
この人は好きこの人は嫌いってないように・・
「家族がいればこわくない」「みんながいたから生きていけた」「すべては命」
「大好き」
きらいな人ができないように・・・
「3月11」
忘れられない津波の日だから・・
「海」
もう一度海で泳ぎたい・・・
「けいとちゃんはやさしかった」
29人の子供たちは400枚以上の言葉をかきました
次から次に言葉は溢れてきました ものすごいスピードで・・・
この日
わかったこと
人の言葉は生きてきた年数ではなく経験からうまれる
私がこの年になってようやくわかった心を
8歳~10歳の子供たちが書にします
どれくらい怖くてどれくらい悲しくて辛かったか
その日を経験していない私たちにはわかりません
こんなにも小さな子供たちの心に9ヶ月もあった心の叫びを
みんなで想わなきゃ
一緒に子供たちの書をみてくださいね
忘れないこと・・・
ぜったいに忘れないこと・・・
2011年12月10日 矢野きよ実