帰りたくても帰ることができない福島の子どもたちと
福島から避難している10歳の女の子は「帰りたい」「くやしさ」と書きました
帰りたくても帰ることができない福島の子どもたちと、
そのご家族に逢ってきました
震災から4年と3ヶ月経った今も
福島から青森に避難しているみなさんのもとへ行きました
青森に行くのは5回目になりました
南相馬・浪江町・双葉町・郡山・・
震災から4年と3ヶ月の間、点々と住む場所を変わり
現在は青森で暮らされています
初めての子どもたちも昨年逢った子も4年目の子どもたちもいます
私は震災直後から被災地に入りましたが、その時と変わらない、
その時の心の痛みが止まったままの心の裡を持ったみんながそこにはいました
時間は動いていても、こころの辛さは何も変わっていないのです
何十回も被災地に生き続けている私も仲間も、
涙を流さないようにするのが必死でした
震災も原発も本当のことは分からない私たちがこんなにも苦しく・・
福島に帰りたくても帰れない人々は
何億倍も計り知れない悔しさと悲しみを抱えている・・・
10歳の女の子は初めは「心の愛」「生活は大事」「命」・・と書いていました
でもジッと止まって「帰りたい」「平和な暮らしは戻ってこない」そして
私のところに来て大きな紙に「くやしさ」と書きました
6年生になった男の子は
前回逢った時は書く事をためらっていました、この日はずっとずっと立ち止まり
最後に「親」と書きました
私たちは堪えきれずに泣きました
外に出ることが4年間、今も辛い優しいお母さんがいます
涙溢れて溢れて・・「お日様はいつもみてる」と・・
そして前に出なきゃ・・と・・
浪江町で家族みんなで暮らしていたのに・・今は離れ離れのお母さんは
「もう原発はいらない」と大きく何度も紙いっぱいに書きました
こんなことでいいのでしょうか
同じ日本に生まれて
こんなに悲しい家族がいていいのでしょうか
お父さんは「俺が守る」と書きました
どうかどうか
先ずは同じ国の優しいこの家族を、子どもたちを想ってください
戦いなんておかしい・・
この子どもたちの前で争いの話をしてもいいのでしょうか
「帰りたい」と何度聞いたことでしょうか
帰りたい場所があるのに帰れない・・どうか・・どうか・・
2015・6・26
矢野きよ実