2011年3月11日

Posted in Diary,Information by yano kiyomi on 3月 18th, 2021

一昨日から手紙やメッセージが届きます。岩手、宮城、福島……
震災直後に初めて逢ったラジオ石巻の武山ちゃん、陸前高田の校長先生、
陸前高田の子どもたち、お母さん方、硯の町雄勝のみなさん…
福島、宮城、岩手10年間で出逢った方々の顔が浮かばなかった日は
一日もなかった。
昨日、被災地を離れ神奈川県で暮らしている武山ちゃんは
「あの日、あの時に起こったことを
すっかり忘れたような身振りでいることが
自分の心を守っていくために必要でした。」と話してくれました。
2011年4月11日に300人の方が亡くなった石巻市雄勝の遺体捜査をしている中に
土台だけになった自分の家の前にポツンと立っている武山ちゃんと逢った。
「何も無くなっちゃった…」
そこは日本の硯シェア90%硯の町でそこで武山ちゃんと
硯を見つけて役場に走った。
それから文科省、教育委員会から子どもたちの心のケアの要請を受けて
授業がはじまることになった。
陸前高田の子どもたちの叫び、
福島の子どもたちの叫び
宮城の山元町の子どもたちの叫び
そして先生方、大人のみなさんからの涙の叫び……
何万枚の叫びを聞き預かりました。
まいにち手を合わせ
「どうかみなさんが今日も一日いい日でありますように…」
自分に大きな力があったらな…
無力な自分にいつも思うことでした。
3年経った時、私が肺腺癌になり
被災地の子どもたちやみなさんにも伝わってしまい…
たくさんの無敵の書と手紙が届きました。
母ちゃん父ちゃん家族を亡くした子どもたちがリンゴ農園に行って
不揃いのリンゴを送ってくれて
「先生、生きてけれ、死なんでけれ陸前高田のりんご食べて生きてけれ…
もう一度来てけれ」
死ぬわけにはいかない……
たくさんの大切な人の死を見てきた子どもたちは、
もう誰も死んでほしくない…と呟きます。

震災直後、日本赤十字愛知県支部から報道の代表で
被災地に入ってくださいと言われたあの日、
お医者さま、看護師さん薬剤師さんと宮城県石巻市に向かって
通信車で出発した。
報道は点に過ぎない・・・
ただ、神はいるのだろうか・・・と心から思った。
道一本を隔てて、あまりにも変わるその状況
一瞬の判断がこれほどまでに人の生き死を変えるのか・・・と怖くて震えた。

10年間に出逢った人はたくさんで
一日一日、一瞬一瞬に涙と奇蹟が訪れます。

一人一人に起きた震災は
一人一人の人生を変えた

出逢うことができ
話した子どもたちや
一人一人のみなさんの叫びを今日はつボイさんと伝えます。
想えば繋がる動けば繋がる
生きることがどれだけ尊いことかを教えてもらった子どもたちの想いを胸に…
どうかどうか今日もいい日になりますように……