宮城県雄勝に向かっています

Posted in Diary,Information by yano kiyomi on 10月 21st, 2022

宮城県雄勝に向かっています。
2011年最初に出逢った大切な被災地雄勝で大きな書をかきます
少し長い話をします。

東日本震災直後、日本赤十字愛知県支部の報道の代表として
石巻赤十字病院に向かった。
少し早く到着できればラジオ石巻に寄ってほしいとの願いを聞いてもらい、
震災から喋り続けている武山ちゃんに逢った。
「帰る家が無いんです…
私は毎日硯の町とても美しい海のある雄勝から通っていました、
学校の先生が真っ暗な道なき道を歩いてきて、みんな山の上に登って
ヘリコプターに手を振っても気づいてもらえない…喋ってくれ」と。
武山ちゃんは20代の優しい女の子
「あの日空にはたくさんの星があって、
私はこの星をいつきれいと思えるんだろうと思った…
明日で1ヶ月、怖いけど家に帰ってみようと思っています。」と

武山ちゃんに一旦別れを告げて
石巻赤十字病院に向かった。
凄まじい時の流れの中で動く伊藤明子さんと話すことができた。
(明子さんは1988年のカンボジア・ベトナム難民支援に始まり、
紛争地域での医療救援活動を中心に14回派遣され、現場で活躍。
国際赤十字の医療チームを事業責任者として指揮、
国際活動の経験を生かして、国内の大きな災害においても被災した地域や
医療施設のコーディネーターとして支えた活動が評価され、
2017年には顕著な功績のあった看護師等に贈られる
世界最高の記章であるフローレンス・ナイチンゲール記章を受賞されました。)

ここで最初の奇蹟がおこります。

全国の医師、看護師、薬剤師のみなさんの中で、私は呟いた
「明日きっと雄勝に行くことになる」
次の瞬間、担当の方が大きな声で叫んだ
「愛知の皆さん、明日の行先が変更になりました、雄勝です」
周りは飛び上がって驚いた。

次の日、通信車で大川小学校にて
泥だらけのランドセルに手を合わせ雄勝に向かった。
300人の方が亡くなられたその町には誰もいない。
しばらく行くと武山ちゃんが立っていた。

私たちはあたりまえのように再会した。
「きよ実さんここが私の家だった…」そして目の前が硯会館、隣も硯屋さん。
私たちは津波でボロボロになった硯を手に役場に走った。

そんなんあったか…持っていけ…でもこのまま貰うわけには……
この山の向こうに自衛隊がいる避難所がある、大須小学校」驚いた。
大須で生まれた私と同じ名前だ。

大須小学校の避難所で硯協会の澤村文雄さんと逢えた。
「職人の道具も工場も全て流されてね…硯持って行ってください。
そしていつかこの街の子どもたちと書いてください」
と約束をした。