大川小学校

Posted in Diary,Information by yano kiyomi on 10月 23rd, 2022

まいにち大川小学校に……

はじめて手を合わせたのは2011年4月11日でした。
まいにち、泥だらけのランドセルに何度も手を合わせました

大川小学校の校庭に
たくさんのトンボが飛んでいました。

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雄勝に来ることができました。

Posted in Diary,Information by yano kiyomi on 10月 21st, 2022

宮城県雄勝の海は穏やかできれいです。
明日ここで書をかきます。
逢えますように……

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雄勝に向かっています

Posted in Diary,Information by yano kiyomi on 10月 21st, 2022

つづく⑧

雄勝の海の前に立って想うことは
きっと私の爺ちゃんかもっともっと前の私の爺ちゃんたちが
きっとこの街でお世話になったのだろうと…
お前、できることをやってこいと、
みなさんと繋いでくれているような気がします。
久しぶりに雄勝に行きます。
そして大きな大きな書を書かせてもらいます

 

 

宮城県雄勝の文房四宝まつり
10月22日(土)23日(日)
雄勝硯伝統産業会館にて行われます

10月22日(土)
9:45〜オープニングセレモニー
・伝産会館正面玄関前
10:00〜書をかきます
・文房四宝スペース内
13:00〜パネルディスカッション
・伝産会館研究室
15:30〜書をかきます
・文房四宝スペース内

10月23日(日)
10:00〜中村耕一ソロライブ
15:00〜中村耕一ソロライブ

雄勝硯伝統産業会館
〒986-1335 宮城県石巻市雄勝町下雄勝2丁目17

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雄勝に向かっています

Posted in Diary,Information by yano kiyomi on 10月 21st, 2022

つづく⑦

飯野川中学校の避難時は最後のお一人になるまで通いました。
体育館の扉を開けると、
障害で寝たきりの息子さんとお母さんがポツンと2人でいました。
みんないっちゃったの…私たちが最後、
今までありがとうねと……涙しか出なかった。
みなさんお元気ですかーーー

 

 

雄勝に向かっています

Posted in Diary,Information by yano kiyomi on 10月 21st, 2022

つづく⑥

私は無敵の書、泉谷さんと浦沢直樹さんは絵をチャリティとして
被災地の子どもたちに何が欲しいかを文科省を通して尋ねました。
雄勝の子どもたちは
津波で祭りの太鼓が無くなり、街のみんなが悲しんでいるから
タイヤにビニールを貼って叩いていた。
雄勝の8台の太鼓に無敵の文字が入っています。

 

 

雄勝に向かっています

Posted in Diary,Information by yano kiyomi on 10月 21st, 2022

つづく⑤

ラジオ石巻の武山ちゃんから
5月に話があると言われ局の裏で聞いた。
「結婚したいんです。でも、お悔やみばかりだからだめですよね。
いえいえ、同じ想いの人がきっといる。
その人たちの救いにもなるから!」

私はそのことを泉谷しげるさんと嘉門達夫さんに話した。
名古屋に呼ぼう!みんなの祭り無礼講が始まった。
金山のアスナルに3万人、
武山ちゃんと彼はステージから石巻のラジオを繋いで結婚を報告しました。

 

 

雄勝に向かっています

Posted in Diary,Information by yano kiyomi on 10月 21st, 2022

つづく④

文科省・漢検と無敵プロジェクトで
子どもたちの心のケア書の療法が始まりました。
全ては雄勝から始まりました。

ただ心の中にあることを書く
「負けてたまるか、津波くるな、きっと光が見える……」
2時間で500枚を超える叫びをみます。

今までに見てきた子どもたちの心の裡(うち)の叫びは
一万枚を超えています。

 

 

雄勝に向かっています

Posted in Diary,Information by yano kiyomi on 10月 21st, 2022

つづく…③

百箇日法要では600食の炊き出しをしました。
泉谷しげるさんが
「お前どこにいる?俺は女川に行くが…それならば先ず雄勝に来てください」
法要の始まる寸前に泉谷さんが到着した。
涙と鼻水でぐちゃぐちゃになって手を合わせ、
耕一さんと春夏秋冬を歌った…

 

 

あの日の拍手…

Posted in Diary,Information by yano kiyomi on 10月 21st, 2022

つづく…

それからほぼ毎週のように無敵プロジェクトは活動した。
炊き出し300食、600食…
中村耕一はここでもう一度歌を歌えるようになりました。
「私たちは全て無くした、でもあなたには歌があるでしょ…」
耕一さんはアカペラで歌わせてもらった。
その日の拍手を忘れない。

 

 

宮城県雄勝に向かっています

Posted in Diary,Information by yano kiyomi on 10月 21st, 2022

宮城県雄勝に向かっています。
2011年最初に出逢った大切な被災地雄勝で大きな書をかきます
少し長い話をします。

東日本震災直後、日本赤十字愛知県支部の報道の代表として
石巻赤十字病院に向かった。
少し早く到着できればラジオ石巻に寄ってほしいとの願いを聞いてもらい、
震災から喋り続けている武山ちゃんに逢った。
「帰る家が無いんです…
私は毎日硯の町とても美しい海のある雄勝から通っていました、
学校の先生が真っ暗な道なき道を歩いてきて、みんな山の上に登って
ヘリコプターに手を振っても気づいてもらえない…喋ってくれ」と。
武山ちゃんは20代の優しい女の子
「あの日空にはたくさんの星があって、
私はこの星をいつきれいと思えるんだろうと思った…
明日で1ヶ月、怖いけど家に帰ってみようと思っています。」と

武山ちゃんに一旦別れを告げて
石巻赤十字病院に向かった。
凄まじい時の流れの中で動く伊藤明子さんと話すことができた。
(明子さんは1988年のカンボジア・ベトナム難民支援に始まり、
紛争地域での医療救援活動を中心に14回派遣され、現場で活躍。
国際赤十字の医療チームを事業責任者として指揮、
国際活動の経験を生かして、国内の大きな災害においても被災した地域や
医療施設のコーディネーターとして支えた活動が評価され、
2017年には顕著な功績のあった看護師等に贈られる
世界最高の記章であるフローレンス・ナイチンゲール記章を受賞されました。)

ここで最初の奇蹟がおこります。

全国の医師、看護師、薬剤師のみなさんの中で、私は呟いた
「明日きっと雄勝に行くことになる」
次の瞬間、担当の方が大きな声で叫んだ
「愛知の皆さん、明日の行先が変更になりました、雄勝です」
周りは飛び上がって驚いた。

次の日、通信車で大川小学校にて
泥だらけのランドセルに手を合わせ雄勝に向かった。
300人の方が亡くなられたその町には誰もいない。
しばらく行くと武山ちゃんが立っていた。

私たちはあたりまえのように再会した。
「きよ実さんここが私の家だった…」そして目の前が硯会館、隣も硯屋さん。
私たちは津波でボロボロになった硯を手に役場に走った。

そんなんあったか…持っていけ…でもこのまま貰うわけには……
この山の向こうに自衛隊がいる避難所がある、大須小学校」驚いた。
大須で生まれた私と同じ名前だ。

大須小学校の避難所で硯協会の澤村文雄さんと逢えた。
「職人の道具も工場も全て流されてね…硯持って行ってください。
そしていつかこの街の子どもたちと書いてください」
と約束をした。