名古屋に帰ってきました。
ジブリパークの内覧会チケットは
自力では落選、取れませんでした(涙)
でも、名古屋観光文化交流特命大使として
“一人で”内覧会に行って参りました!
先ず最初はカオナシの横で千尋になりきりです
ジブリパークでなりきり名場面!
“ひとり内覧会”でしたが…
みなさんに写真を撮っていただいてありがたかったです。
撮りつ撮られつ楽しいジブリの大倉庫……(笑)
ジブリの大倉庫の下がアイススケートリンクでね、
そこの扉から外に出ると
石波志きしめん屋さんがあります。
その扉に私の書「一日一麺」見っけ!(笑)
ぼろぼろのポスターですが…嬉しかった。
もうちょっと歩くとスガキヤもありますよー
みんな海を見つめていました。
海の前でぽつりぽつりと話される言葉を聞きました。
たくさんたくさん聞きました
ひとり一人に「あの日」があること……
まだ、終わっていないことを知ります。
11年前、毎週のように0泊3日、1泊4日車で、
900キロ・1300キロを無敵プロジェクトのみんなで向かいました。
車で向かいました。
電車や飛行機ではなく車で向かいました。
車じゃないと無理でした……
一瞬で到着するには心が戻らないから。
毎日ほうじ茶をお供えして手を合わせます。
それは今も、今日も。
9メートルの防潮堤ができ故郷を離れたみなさんの気持ち……
今回、私なんかの元にもたくさんのメッセージが届きました
終わってない終わるわけはない
あらためて想うことがたくさんです。
また逢いに行かせてください。
逢いたいよ……
耕一さんの歌う横でも書きました。
それは……耕一さんが「何も言えなくて」を歌いだした時…
「この曲聴くと、僕と妻の青春でね…
妻は津波で亡くなりました。
今は3人のシングルファーザーでね、
子どもたちはこの頃の曲を聞かせてくれようとします。
今は普通に生活していますが…
車の中で一人でこの曲を聴いたりするとね……」
と話してくれました。
「そこから見えますか 僕の声届いていますか」
「逢いたいよ」
2011年の震災直後にご自分も津波にあって奥さまを亡くされ、
小さな子どもたちがいるのに傍にも行けず…
地域の人たちのことをずっとずっと担当している行政の人がいるんだよ…と
当時、香積寺のご住職に聞きました。
その方が今回、私たちの細かなお世話をしてくださった方でした。
耕一さんも雄勝の海の前で歌いました。
耕一さんは震災直後、石巻、雄勝に入りました。
ある日、桃生の香積寺のご住職から
仲の良かったご夫妻と身元不明の11歳の少女のご遺体の前で
歌ってくれないかと告げられました。
歌を辞める覚悟でいた耕一さんは最初は断りました。
川村住職は今も話されます。
「大きな津波被害にあった地域では、ご夫婦で被災され、
別の日に離ればなれでご遺体が発見されることが多いのです。
ところが遠藤さんご夫妻はほぼ一緒だったと聞きました。
震災前から、身寄りがないけれど
仲むつまじいことで知られていた夫妻らしい最後です。
それで、御三方を送るに当たり、
無理を承知でお願いしたのです」と……
3人の話を深く聞き、迷いに迷ったあげく
ご住職からの願いの歌は
アカペラで「君にいて欲しい」でした。
そしてもうお一人
避難所で「私たちは全て無くしたけど、あなたには歌があるでしょ、
だから歌ってください…」
そう言ってくださった女性の尊いひと言で、歌いました。
そのご住職が、女川のイベントから雄勝に駆けつけてくださいました。
ずっとずっと一緒に活動させていただいている城南信用金庫の新田さんと。
※ AERAの記事は >> コチラ から
今、雄勝の海の前で歌うことができるのは、
被災地のみなさんの想いのおかげです。
文房四宝を世界に配信です!
パネルディスカッションにも出席しました。
「技・美と観」
〜伝統工芸の技と観光戦略〜
雄勝硯作りを体験させていただきました。
雄勝硯職人の徳水辰博さんは
この地で生まれ8年前に硯職人になりました。
「雄勝硯」は室町時代から作られ、
一時は国内の硯の9割を占めていました。
でも、東日本大震災で作業場はもちろん、街全体が被災。
津波により硯職人も含めて300人の方が亡くなられました。
雄勝石の特徴はこの光沢のある黒です。
宝石や金属とも違う光沢が黒に深みを増し、
そして気品を感じさせます。
この硯があるから書がかけます。
徳水さんみなさんありがとうございます。
300人いた硯職人の方々は
今は6人……
雄勝硯伝統産業会館は素晴らしい施設で感動します。
硯のパワーが漲っています。
文房四宝の会場です。
雄勝硯・鈴鹿墨・熊野筆・因州和紙
書道は硯・墨・毛筆・紙を用いて表現します。
良い硯、良い墨、良い筆、良い紙で書いた作品は
何百年、いえ一千年持つといわれています。
「あなたを想うと
あなたのまわりに花びらが舞うって
想うよ おもふよ
花びらいっぱいの
天になれ」
天国にいる人、離れている人のことを
想いだすとね、その人のまわりに
花びらが降るんです
想っておもって
今日も大好きなみんなのまわりには
花びらが舞って
みんな花びらに埋もれています!
フェイスブックは >> コチラ から
宮城県雄勝の海の前で書をかかせてもらいました。
出逢えたみなさんお元気ですか
天国から見てもらえますよう…
一生懸命書き続けます。
2011年4月11日
日本赤十字の医師団と到着した時の雄勝は
300人の方々が津波で亡くなり
とてつもない景色が広がっていました。
ビルの上にバス、消防車は半分以下にスクラップされ…
3階建ての建物より津波は高く屋上へ上がったみなさん、
病院のみなさんも流され
その3ヶ月後、校長先生から見せていただいた映像は心から消えません。
私は映像しか知らないけれど
震災にあったみなさんのほんとうは分からないけれど…
何度も何度も炊き出し、百箇日法要、一周忌、書の授業…
ボランティアは自分からは行きません
頼まれたら行く…何度も何度も、
しかもあちらこちらから雄勝に呼ばれました。
その縁の不思議は
私たちの爺ちゃんたちがその昔
雄勝のみなさんに世話になったのだと
やはり思わずにはいられません
みなさん、縁はすごい
ここにまた来ることができる
出逢うことができる
この奇蹟にありがとうございます。
書を書かせてもらえて
ありがとうございます
雄勝硯伝統産業会館は2020年5月に
海岸に沿うように素晴らしく感動します。
海側に開けた広い窓から自然光が差し込み、
文房四宝は始まりました。
2011年この場所で津波にのまれた硯に出逢いました。
そして大須小学校に避難されていた硯協会の澤村会長に出逢います。
「こんなのあったか…いつかこの町で子どもたちと書を書いてください…」
その硯から全てが始まりました。
この度、澤村さんと過ごすことができた数日間をみてください。